9/21(日)、定例開催のFactory Art Museum Toyama で、現地6名による開催となりました。先般の参院選で議席数を伸ばした「参政党」という現代的なテーマを切り口に、「国民とは何か?」を問うという根源的なテーマに至る展開となり、時事的でありながらも本質的な内容を対話する機会となりました。
【第一部】 参政党現象の深層分析 ―「ネイション」と「ネイチャー」の結合
第一部では、参政党の台頭を、単なるポピュリズムではなく、下記の中島岳志さんの動画を参考として戦後日本に底流する独特の思想的系譜から読み解くことを試みた。
まず、参政党の思想的特徴を、国家や民族を重視する「ネイション(Nation)」の志向と、オーガニックやスピリチュアリティに代表される「ネイチャー(Nature)」への回帰という、二つの軸の結合として分析した。この思想的源流は、元左翼活動家でありながら後に独自のナショナリズムへと至った太田竜や、反権威の象徴として一部で語られてきた「縄文」の再解釈に見出すことができる。
参加者からは、この「ネイション+ネイチャー」の世界観が、グローバリズムへの反発や近代社会への不信感を持つ層に対して、「失われた本来の日本を取り戻す」という首尾一貫した物語を提供し、強い吸引力を持っているとの意見が出された。
また、ホワイトボードに描かれた政治思想の座標軸(権威⇔ポピュリズム、左派⇔右派)を用いて、参政党が「ポピュリズム・右派」に属することが確認されただけでなく、「感性」や「価値観」を基盤とする新しいポジションを築いていることが確認された。これは、既存政党への不満の受け皿となるだけでなく、独自の排他性を生み出す構造についても議論が及んだ。
【第二部】 移民大国ドイツのジレンマ ―「統合」の理想と「分断」の現実
第二部では、日本の未来を考える上での重要な参照点として、ドイツの移民統合政策が直面する複雑な現実を検討した。
ドイツは、手厚いドイツ語教育を制度化し、移民が社会の一員となるための現実的な道筋を用意してきた。しかし、2010年代以降の大量移民の流入は、社会のキャパシティを超える事態を招き、結果として極右政党AfD(ドイツのための選択肢)の台頭を許した。
ここでの中心的な論点は、ドイツが直面する移民統合が、見方によってファシズム的な同化教育になりかねない」というジレンマであった。良かれと思って進められる「教育のアップデート」(多様性や主体性の尊重)自体が、知識を持つエリート層による知による支配と見なされ、かえって国民の間に新たな分断を生み出しているのではないか、という鋭い問いが投げかけられた。
さらに、ドイツ社会を支えるキリスト教的な価値観や知識人への信頼と、第一部で議論された日本の「縄文的な価値観(アニミズム、コミュニティ重視)」を対比し、社会を統合する基盤そのものの違いについても議論が深まった。
【第三部】 未来への問い ―「よそ者」と「移民」を再定義する
国家の中に入ってくる「移民」を深く理解するために、自治体の中に入ってくる「よそ者」の違いについて議論することとした。
大きな違いとしては、コミュニケーションギャップの程度の違いと「人種と言語」があるのではないかというコンセンサスが得られた。
この議論を受け、最終的に「日本人ファースト」という言葉を乗り越え、日本社会における「国民」とは何か?という核心的な問いに至った。人種といった生まれに制約される概念ではなく、共に社会を構成する一員としての「国民」をどのように再定義し、新しい共同性を築いていくか。その重い問いを参加者全員で共有し、次回は「国民とは何か」をテーマとすることとして、今回の哲学カフェは締めくくられた。
3. 総括
今回は、参政党現象という現代的なテーマを入り口に、ドイツのリアルな事例を学び、最終的には「国民とは何か」という普遍的かつ哲学的な問いへと至る対話の場となった。
単純な賛成・反対の二項対立に陥ることなく、それぞれの事象の背後にある歴史的・思想的文脈を丁寧に読み解き、未来への課題を共有できたことは、大きな成果であった。
今回の哲学カフェは、時事的な口角泡を飛ばす内容になりかねないにも関わらず、お互いの違いを認識しつつも穏やかに対話を行う
良い時間となりました。ご参加いただいた皆様の真摯な問いと洞察に、心より感謝申し上げます。