最新情報

3Dプリンタ

【活動報告】第43回哲学カフェ×ミュージアム「3Dプリンタとは何か?」2022/01/16

1/16(日)にFactory Art Museum Toyama において「3Dプリンタとは何か?」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地参加者5名、オンラインでの参加者2名でした。3Dプリンタは、ファシリテータの野末がイージー・エンジニアリングで事業としており、しかも前回のテーマ「哲学と工学の対話は可能か? 」から連続するテーマでもあります。哲学と工学の交わるところの象徴として、3Dプリンタは適切なテーマであるとファシリテータの野末は考えました。

今回は議論のネタとした資料を公開いたします。

3Dプリンタの具体的な分類やメリット・デメリットについても整理して説明しました。そこから、3Dプリンタの特性として「技術の民主化」を担いうる可能性についても説明したうえで、皆さんと議論しました。その中でも特に、廃棄物レス・物流コストレス・消費電力レスの可能性を担う可能性と、それのSDGsとの相性について取り上げました。

最後の1時間では、3Dプリンタの持つ特性を「脱中央(decentralization)」として抽象化した上で、それと類似する電力や暗号資産、インターネット、再生可能エネルギー、そして前々回のテーマである「ひとり出版」について取り上げました。中でも、脱中央の一例として、視覚障碍者にもアクセスしうる立体デザインを3Dプリンタで成形したらどうだろうかという提案は興味深いものでした。確かに触る展示会は一部で模索されていますが、3Dプリンタはそれを気軽に実践できるメリットがあります。

ファシリテータ個人としては、 「脱中央(decentralization)」 は一般的には地方分権の文脈で論じられるので、政治と3Dプリンタの関係性について論考を深めねばならないと反省しています。 前回のテーマ「哲学と工学の対話は可能か? 」 においては、政治的意志によってその技術を有効活用すること、いわば技術の民主化が必要ではないかということを最後に提案しておいて、その提案を受ける形で論を展開することができませんでした。

設計論との兼ね合いの中で勉強を進めることになるのではないかと思います。もうしばらくお待ちください。

気候危機とグローバル・グリーンニューディール

新刊のご案内『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』(那須里山舎)

11月の哲学カフェでお招きした白崎一裕さんが経営する那須里山舎が、さらに新刊『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』を刊行しました。

11月の哲学カフェ「Vol.41 哲学カフェxミュージアム  テーマ『地方でひとり出版社を営むとは?』」

前回の新刊『グリーン・ニューディールを勝ち取れ』と同様に、一般的に気候変動問題解決と経済活動は矛盾すると考えられがちであるのに対して、グリーンニューディールは両者の問題を解決するという立論が展開されていますが、今回は大知識人チョムスキー御大と、環境政策の大御所であるポーリンとの対談ということで、理論面と実践面の両方で具体的かつ深い考察が見られます。

日本でも宮台真司さんや飯田哲也さんなど、高名な方から推薦が行われるなど高い注目度を浴びているだけでなく、さっそく宮台真司さんは露出度の高い動画でも紹介してくれています。

こちらのサイトでも読んでから書評を行ないます。

哲学・科学・工学の関係

【活動報告】第42回哲学カフェ×ミュージアム「哲学と工学の対話は可能か? 」2021/12/19

今年最後の哲学カフェは、小雪の舞う中いつものミュージアムの会場で開催されました。水と油の関係にあるような「哲学(philosophy)と工学(engineering)の対話は可能か?」をテーマに対話を行いました。

ファシリテータの野末が「哲学エンジニア」として活動するキャリアを通して、このテーマに向かい合いたいと思いました。哲学研究者となることを志しながらも、紆余曲折を経て今は機械開発のエンジニアとして生計を立てているのですが、この矛盾する両者がいかにして私の中で並立しうるのか考える契機となりました。

今回の哲学カフェの冒頭では、かけ離れた哲学と工学の関係を検討する上で、「科学(science)」という媒介項を入れて対話を開始しました。

私たちの議論が進んだ結果、科学技術が進展するにつれて無神論が主流となり、いわば科学が哲学を飲み込んでしまったのではないかという論点が浮上しました。そこから敷衍すると、そもそも科学自体が工学の要請によりその研究が方向づけられているわけで、工学が科学を飲み込んでしまったとまで言えるのではないかと話が進みました。

哲学・科学・工学の関係
哲学・科学・工学の関係をベン図にしてみました

この考え方は今回の主要概念であり、ドイツの哲学者ハイデガーが提唱する「ゲシュテル」とも共通します。ゲシュテルとはハイデガーの技術論を代表する考え方で、「総駆り立て体制」「集ー立」などと訳されます。

マルティン・ハイデガー
マルティン・ハイデガー

ドイツ語のGestellとは製品を支える架台・フレームという意味合いになります。いわば近代の技術の根底を成す枠組み・土台ということができ、技術の進展の自己目的化へと人びとを駆り立てる思考のフレームワークであるといえます。

技術の進展の自己目的化はハイデガーの時代よりも激しく進んでおり、基本的人権を置き去りにして進展する人工知能の普及や、生命倫理を置き去りにして進む遺伝子操作、そして生物多様性の破壊や気候変動をもたらしながら進む経済成長など枚挙に暇がありません。

先ほどのベン図に描いたように、工学が科学はおろか哲学に至るまで急速に飲み込んでいることについては会場の参加者の大方の同意は得られたと思います。

確かに工学のルーツは万学の女王であった哲学にあったのかもしれないが、今や決して哲学と工学は対等な対話ができる関係にはなく、工学は哲学を圧倒してしまっていることは明白です。そこで、哲学と工学が対話をするためには何かしら別のパワーが必要となるわけです。

政治的意志という外部のパワー

そこで、ファシリテータの野末が提案したのは、ベン図に描いたように「政治」という外部のパワーが哲学を擁護するために必要だということです。

ハイデガーはゲシュテルを解毒するためにテクネーという概念を提唱しました。テクネーとはギリシャ語であり、一般的にはtechnicの語源であり、同時に芸術まで含んだ技能一般を指し示すとても幅広い概念です。ラテン語ではArsとなり、いわゆるリベラルアーツ(一般教養)の語源ともなり、いわば市民が自立して生きるための教養という意味まで持っています。

ハイデガーはそこに独自の可能性を見出しました。芸術、特に詩というテクネーが存在の本質を明るみに出すことができるとしています。ハイデガーは特にドイツの詩人ヘルダーリンを高く評価しています。ハイデガーは「危機ある所に救いは育つ」として、それを「技術との自由な関係」と定めています。

ただ、ファシリテータの野末は、芸術の持つ可能性は否定はしないものの、ゲシュテルの持つ獰猛な力には、政治の持つ力で対抗する方が有効ではないかと見て提案しました。というのも、ゲシュテルの進展に対しては、人間の政治的意志もかなり手を貸しているからです。

人工知能の中国における猛烈な進展には、中国共産党の政治的意志が強く働いていますし、人工知能の便利さと快適さに人民がおおむね追認しているというのが実情です。また、現代中国に限らず、民主主義の原理で政治を行う国家でも、科学技術の進展は最大多数の最大幸福と手を取り合って進んできて、それがまた人々に多くの福利厚生を与えてきており、近年のベストセラーとなったファクトフルネスという書籍にもその点が逐一実証されています。

つまり、ゲシュテルの持つ獰猛な力は、人々の政治的意志にも大きく左右されるわけで、使い方次第では工学は人々に大きな幸福をもたらすことが可能であるということです。

「自然」とは?

ハイデガーは「自然(ピュシス)」という概念を存在の本質に深く関わるとして重要視していますが、それを再生可能エネルギーの動力源としてみることをもゲシュテルの為すこととして害悪視する思想的傾向があります。生のままの自然としてその本質を芸術を通して有らしめることが重要だというのがハイデガーの言い分ですが、人々に与える幸福という観点では疑問が残ります。

私たちは気候変動の危機にさらされており、十全なインフラ環境に恵まれない人々ほど被害に遭うとされています。その時に、少しでも地球環境の保全のために、自然を再生可能エネルギーの動力源としながら、化石燃料に依存した社会体制から転換することは人々の幸福のためにとても重要なことです。つまり、ゲシュテルの毒を自覚しつつも、政治的意志によってその技術を有効活用すること、いわば技術の民主化が必要ではないかということを最後に提案して終わりました。

次回は、技術の民主化を象徴する存在である3Dプリンタをテーマに対話をしていきます。どうぞお楽しみに!