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【活動報告】第75回哲学カフェ×ミュージアム「選挙とは何か」2024/10/20

10/20(日)にFactory Art Museum Toyama において「選挙とは何か」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地5名、オンライン参加2名での開催となりました。

前回は「”主体性からの逃走は可能か?~ハイデガーから考えるロシアのウクライナ侵攻問題~」と題して議論をしました。ハイデガーに潜む近代的自我への懐疑が、民主主義を破壊する危険性について考察をしました。

今回は、27日投開票日の衆院選と富山県知事選を目前として、そもそも民主主義の構成要素の一つである「選挙とは何か」について議論を行いました。

第一部では選挙とは何かについて私たちが持つ原初的なイメージを共有した上で、さらにそれぞれが抱える「選挙」に関する原体験をたどるために学生時代の選挙についてのイメージを共有しました。

第二部ではそれに対して、直接民主制と間接民主制の違いという普遍的なテーマや、くじ引き論や外山恒一さんの選挙は欺瞞だとするラディカルな意見を取り上げながら多角的に選挙制度について検証を行いました。

第三部では、これらを踏まえて、改めて選挙とは何かについて再定義をしながら、選挙制度の諸制約を踏まえながらも、「それでもなお」政治の可能性について語り合うという展開となりました。

当日のホワイトボード

選挙はあくまで民主主義のほんの入り口であり、必要条件の一つにすぎず、それから先の政治活動が肝要であることは共有できたのかなと実感しました。

今回は、各々の実体験をベースに語り合うように努めました。ファシリテーターの個人的な体験をこちらに共有して結びとさせて頂きます。富山県朝日町で生まれ育ち、現在も在住しておりますが、そこでの政治に関する体験を記します。

現在の町長が10年前に選出されたときに、朝日町再生会議が組成されて、今にして思えば町長の求心力の補強という意味合いがあったのだと思うのですが、私と結婚して移住したばかりの妻がその再生委員としてコミットすることとなりました。再生会議での意見が第5次総合計画に反映されるとの触れ込みで、その再生会議は批判も受けましたが大変な活気がありました。

その一つの成果が、立山町の類似の事例を参考とした「おうちで子育て応援事業」で、その後子どもを授かった我が家もその恩恵に浴することができました。妻のほんのちょっとした発言で町長の決心が固まったという感触でした。今の石破総理が初代地方創生大臣として打ち出した地方創生によってブーストされたというかなり幸運な側面もあったと思いますが、政治のダイナミズムに関わる醍醐味を実感しました。ある意味3歳以下のベーシックインカム的な制度であり、ベーシックインカム研究にもコミットした者としては感慨無量でした。

朝日町は10年前に消滅可能自治体の烙印を押されてその後も脱出することはできず、ついに人口1万人割れと言う憂き目にあっていますが、推計よりは上振れしているということでこの政策が大きな原因と見られています。実際、非婚者は多いという問題はあるものの、身の回りの結婚した世帯での子供の数はとても多いという実感はあります。

月並みな言葉になりますが、選挙のその先の不断の努力で未来は変えられるという体験をすることができました。それはほんのちょっとした勇気だったりするのです。バタフライエフェクトを願って、哲学カフェを継続している動機でもあります。

ブルーステートとレッドステート

【活動報告】第71回哲学カフェ×ミュージアム「反知性主義とは何か」2024/6/16

6/16(日)にFactory Art Museum Toyama において「反知性主義とは何か」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地4名、オンライン参加1名での開催となりました。

前回は「アメリカニズムとは何か」について議論をしました。かなり広範なテーマであったので、せっかく興味を持っていただいたのに分かりづらい面が多くあったように思いました。そこで、その中でも最もヴィヴィッドな特性である「反知性主義」というテーマをもって対話することとしました。

何と言っても反知性主義のコアにあるのはプロテスタンティズムです。キリスト教の起こりはイエスがユダヤ教の権威に異議申し立てをしたことですし、プロテスタンティズムの起こりもルターがカトリックの権威に異議申し立てをしたことです。そして、アメリカ植民の起こりもピューリタンが英国教会という権威からの独立ですし、アメリカ合衆国の独立もその延長線上にあります。

権威に対する平等主義が根底にあり、日本で乱用される「反知性主義」という言葉の権威主義的な使い方とは真っ向から対立するわけです。つまり、反知性主義とは、反知識人主義と言ってもいいわけです。

リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』で広く周知されるようになりましたが、近年この概念に注目が集まるようになったのは何と言ってもトランプ現象によるところが大きいでしょう。荒唐無稽な陰謀論に耽溺するだけでなく、アメリカ議会に乱入して武力行使を行う過激な集団がなぜ大きな勢力となって、トランプ現象が生み出されるのかという疑問があるのでしょう。しかも、科学技術の最先端をリードするアメリカが、なぜ相反するような大きな政治勢力を生み出すことへの疑念が生まれるのはもっともなことだと思います。

しかし興味深いのは、この両面がプロテスタンティズムの現れなわけです。例えば、ニュートンは敬虔なキリスト教徒であり、かつ宇宙の物理法則を解明する科学者でもありました。また、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でも説かれているように、資本の拡大が信仰の証であったりもするわけです。科学もビジネスも成立の当初はその両面が緊密に結びついてたのが時代が進むごとに分断してしまうという訳です。

ブルーステイト(民主党支持州)とレッドステイト(共和党支持州)の話もしましたが、この両面がアメリカニズムの現れであるわけですが、今は深い分断の溝を生んでいます。

分断を生んでいる一つの代表例としてキリスト教の中核をなす創造論と、それに真っ向から歯向かう科学的な進化論との対立についての議論も行いました。私たち日本人にとっては進化論がなじみのあるものなので、科学技術の最先端を走るアメリカ合衆国で創造論が大きなプレゼンスを生んでいることに理解が及びません。ましてや報道されるのが、いわばキラキラしたアメリカばかりなのでなおのことなじみがありません。

それもあってか、この議論がなかなか活性化しませんでした。そこで角度を変えて、私たち日本人がどうアメリカニズムや反知性主義をとらえ直すのかという議論の仕方を行いました。日本人論はさすがに盛り上がりますが、やはり、アメリカニズムのベールがなかなか晴れませんでした。所詮は教育の問題じゃないか、どうせ日本人にはキリスト教の考え方は理解できないのではないか、日本人には寛容の精神があるが、キリスト教は偏狭であるなどなど。

そこで、一度アメリカ論からは距離を置いて、私たちにとって親しみのあると思われる日本人論を批判的に行うことで、客観的な視座を得ながらもう一度アメリカ論に取り組むということにしました。次回は、「日本教とは何か?」~ここが変だよ日本人~と題して、日本人論について議論を深めます。

【活動報告】第69回哲学カフェ×ミュージアム「ケアの倫理とベーシックインカム」2024/4/21

4/21(日)にFactory Art Museum Toyama において「ケアの倫理と」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地4名、オンライン参加4名での開催となりました。

前回は岡野八代『ケアの倫理』(岩波新書)に則って「ケアの倫理」の考え方を紹介しました。ケアの倫理は「主体性」という近代文明の基礎を”Who cares?”と問いかけることで根本的に揺るがす可能性はあるものの、その社会的実装を具体的に考えてみたいとして、そして近代文明の転換を図る一助として、ベーシックインカムを補助線に考えてみることとしました。

導入の最初に、そもそも奈良時代の日本において均田制というベーシックキャピタル(基礎資本)という制度が運用されていたことを説明して、それほど人類に無縁の制度ではないことを投げかけました。アメリカ合衆国独立を主導した思想家であるトマス・ペインももまた、ベーシックキャピタルのような制度の導入を訴えていて、ベーシックインカムを歴史上初めて訴えたとされることが多いです。

ベーシックインカム(BI)の定義として、一定金額が定期的に全ての個人に現金が支給されるというのが近年の主流となっていますが、その定義でのBIは1960年代の後半のアメリカ合衆国において、ケア労働と生産労働の両方を担っているシングルマザーがBIを求める運動を起こして、それがキング牧師を突き動かしたという歴史があります。そもそもの起こりとしてケア労働とBIの結びつきは深く、ケア労働とマッチするのではという提案を行いました。

そもそも、アメリカ合衆国ではニクソン米大統領の時期に負の所得税という形でBIを導入しようとした経緯があったことを紹介しました。

負の所得税(フノショトクゼイ)とは? 意味や使い方 – コトバンク

米アラスカ州でアラスカ永久基金というファンドが資源をもとに運用した結果得られた利益を州民に等しく分配するという部分的BIの仕組みが1970年代以来ずっと継続されており、また、かつてはカナダのドーフィンという小さな自治体で数年間BIの実験がなされたことがあり、それで仕事を辞めた人はおらず、辞めた人も学業に専念したり、専業主婦になって子育てに専念したりしたというポジティブな結果が得られたという事実も共有しました。

Alaska Department of Revenue – Permanent Fund Dividend

Alaska Permanent Fund – WikipediaAlaska Permanent Fund – Wikipedia

オンタリオ州ベーシック・インカムの実験: MINCOME の影響

このような事実を紹介してもなお、BIを導入すると人は働かなくなるのではないかという誰もが最初に抱く根強い疑問が起こりました。一斉に人が働かなくなるのは非現実的な想定であるとはしても、一定数は働かなくなって社会が機能しなくなる可能性があるのではないかという疑問です。これに対しては、そもそもケア労働が極めて低賃金に抑えられている点を踏まえると、ケア労働者に対する生活の底上げとして機能はするけれども、例えば月額5万円程度の上乗せで仕事を辞めるということは非現実的な想定であろうと回答しました。

確かに、いきなり純粋な定義のBIを導入すると混乱が発生する可能性もあるので、まずは子育てや介護、ボランティア活動などケア労働に限ってBIを支給するという参加所得を導入したらどうかという提案を行いました。

それでも、ふんだんに年金が支給されている家庭に依存する孫が堕落している事例に話題が広がってしまうなど、シングルマザーがBIを求めたという精神に対する理解が到底及ばず時間切りになってしまいました。BIは移民に対して支給するのかという難問が控えていて、それに対する議論は想定していたのですが、まさか入り口でこんなに躓いてしまうとは想定外でした。

「働かざる者食うべからず」という近代文明の労働観が根強く私たちを支配していて、前回話題となったようなケア労働への転換、ましてや文明の転換というところまで私たちの精神は変容するのは厳しいのだなと痛感しました。

次回は、原初のBIの精神にアプローチするために、角度を変えてBI発祥の地であるアメリカ合衆国をテーマに迫ってみようと試みています。テーマは「アメリカニズムとは何か?~トランプ氏はなぜ支持を受けるのか~」として、米大統領選への準備も兼ねて実施いたします。