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カント肖像画

【活動報告】第52回哲学カフェ×ミュージアム「人類は賢くなれるのか?」2022/11/20

11/20(日)にFactory Art Museum Toyama において「人類は賢くなれるのか?」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地参加者7名、オンラインでの参加者2名でした。

第1部では、ファシリテータの野末から基礎知識の共有を行いました。

底本としたカントの『啓蒙とは何か』をその哲学的背景から説明をしました。まずは「自分自身の悟性(心的能力一般)を用いる勇気をもて!」で知られるように自分の頭で考えることの重要性を共有しました。そして、そこから発生する理性の公的使用と私的使用の問題について説明しました。何のために自分の頭で考える必要があるのかというと、世界市民として全人類のために理性を公的に使用するためである点を説明しました。いわば思想良心の自由や言論の自由の源流となっています。

これに対して、第2部と第3部では、理性の公的使用(世界市民のために)と私的使用(地域や企業、国家のために)の線引きがどこでなされるのかという質問がなされました。客観的に計測できる基準があるわけではなく、カントの道徳哲学における「善意志」に立脚したものか否かが重要であると回答しました。つまり、カントの時代であれば、帝国もしくは宗教的権威に抗して、真理を求めて自らの思想良心の自由を貫こうとしているのかどうかが重要であるということです。

現代的に受け止めるのであれば、国家や企業の悪事を暴露する内部告発者を擁護する根拠となるでしょうし、いわゆるアイヒマン問題に見られるように組織の論理に抗って良心を貫く根拠となるでしょう。

ロシアによるウクライナ侵攻をめぐる問題については、国家の利益のために、ウクライナとロシア双方の「世界市民としての人びと」の生命や財産を侵害するのみならず、思想良心を脅かしている点から批判の声を上げることが可能となるでしょう。また、様々な意図のもと流布されるプロパガンダやフェイクニュース、そして陰謀論が力を持つ中で、世界市民の立場からそれを批判的に検証する良心を支持する根拠となるでしょう。

その一方で、客観的な基準がないため「善意志」という主観的な原則に立脚しており、それゆえに双方の意思疎通を困難にすることは容易に予想ができます。最後には、そもそも啓蒙する以前にコミュニケーションが成り立っているかどうかが怪しいのではないかと疑問が上がり、次回は「人は話せばわかるのか」と題して、コミュニケーションについて哲学的に対話を行うことになりました。

カント肖像画

【活動報告】第51回哲学カフェ×ミュージアム「戦争と平和」2022/10/23

10/23(日)にFactory Art Museum Toyama において「戦争と平和」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地参加者6名、オンラインでの参加者3名でした。現地参加の女性比率が50%となりひそかな目標が実現しました。

第1部では、ファシリテータの野末から基礎知識の共有を行いました。

底本としたカントの『永遠平和のために』をその哲学的背景から説明をしました。いわゆる「目的の王国」を論じている道徳哲学の具体的展開として『永遠平和のために』が成立していることをお話ししました。カントの道徳哲学では、個人の人格を目的として尊重して、手段として扱ってはならないことが論じられていますが、それを国家に援用しているわけです。現代に大きな影響を与えたとされる常備軍の廃止国連の創設についても、この目的の王国の思想から展開しています。個人の自由意志を尊重することから、本人の意思に反して徴兵することを禁止することにつながりますし、個人の意志を各国家の意志になぞらえて、各国家の意志を尊重するための国際法を運用するための機関として国連創設を提案することにつながります。

そこから、『永遠平和のために』を読む現代的意義について触れました。民主主義国の割合をと専制主義国の割合が上回る事態になり、それがロシアによるウクライナ侵攻の引き金となったのではないかという点について問題提起しました。カントは永遠平和の条件の一つとして、「共和制」を挙げていたからです。

第2部では、この第1部の内容をふまえて、参加者の皆さんから質疑応答のやり取りを行いました。いつものことではありますが、やり取りの開始時は少し雰囲気が硬くなるのですが、やり取りが進むごとに雰囲気は緩和していきました。なぜこの十数年で、専制主義国の割合が増えてきたのかという問いに対して、私自身は十分な回答ができませんでしたが、IT技術の進化が為政者に悪用されて監視や支配の道具として導入されていったという補足の説明がなされて、カントの現代的意義が明確になりました。中国において生産された監視用の部品が大量生産されて、とりわけアフリカ諸国に安い値段で売られることで専制主義化を後押ししたことが説明されました。

カントは『永遠平和のために』の中で、商業的な結びつきが世界各国で深まれば深まるほど戦争が回避されるようになると述べているのに、このグローバル経済化した世界では必ずしもそうはなっていないことについては、どう考えたらよいのかという質問には、私は商業的結びつきそれ自体が戦争を回避する力があるわけではなく、「自然の王国」に向かうのか、それとも「目的の王国」に向かうのか、その動機が重要なのではないかという回答をしました。1795年に出された『永遠平和のために』には、21世紀のグローバル経済の動向まで読み切るのは難しかったのではないかという面もあるでしょう。

第3部ではかなり議論が白熱しました。第2部では発言のなかった方からも活発に質問や意見が飛び交うようになりました。個人的にはカントの二元論に対する違和感に対する質問が興味深かったです。無分別知の方がしっくり来るとのことでしたが、だからと言ってそれが戦争を回避する一手にもなりえず、なかなか私自身も良い解答ができず申し訳なく思いました。

戦争と平和
22/10/23「戦争と平和」の白板

次回は、同じくカントの『啓蒙とは何か』を底本として対話を行います。人類は啓蒙されうるのか、そして賢くなることができるのかがテーマとなります。人類は懲りずに戦争を繰り返してきてしまい、カントの時代からあまり賢くなっていないのではないかという同意が得られましたが、そのカントが説いている『啓蒙とは何か』をもとに、戦争が回避されうる可能性について考えていきます。

マルティン・ハイデガー

【活動報告】第50回哲学カフェ×ミュージアム「宗教とインターネット」2022/09/18

9/18(日)にFactory Art Museum Toyama において「宗教とインターネット」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地参加者5名、オンラインでの参加者1名でした。初参加者の女性の方もいらっしゃいました。

第1部では、ファシリテータの野末から基礎知識の共有を行いました。

マックス・ヴェーバー(Wikipediaより)

近代社会において合理化が進むにつれて、マックス・ヴェーバーが言うところの「脱魔術化」が進むと思いきや、ホルクハイマーとアドルノが言うところの「啓蒙の弁証法」が働いて野蛮な社会が到来してしまうという逆説について紹介しました。

次に、その最も顕著な例として「アメリカニズム」を挙げました。具体的には福音派と原理主義に代表される宗教右派の勢力の勃興と新自由主義がお互いを促進するように発展して、政治に大きな影響力を与えているというこの数十年の歴史を紹介しました。GAFAのようなIT企業が宗教右派の勢力が強い国で発展するという逆説はいつも私たちに戸惑いを与えますが、ハイデガーが「ゲシュテル」(総駆り立て体制)で指摘する計量可能性が私たちの仕事と生活に深く浸透しており、その淵源が特に「アメリカニズム」において顕著に現れているわけです。ゲシュテルに潜む「ユダヤ・キリスト的な創造の思想」が、片方では宗教右派として、他方ではGAFAのようなIT企業として発言しているということです。

第2部では、この第1部の内容がハードだったのではないかと思ったので、参加者の皆さんに内容を咀嚼してもらうためにも、ざっくばらんに昨今の旧統一教会の問題に関する対話をしたり、それぞれの宗教に対するスタンスや思いについて自己開示してもらい、対話が穏やかに進みました。きわどい体験についての自己開示もあり、話しやすい環境づくりには成功していたのではと自負しています。

第3部では少し視座を挙げて、私たちがこの「アメリカニズム」あるいは「ゲシュテル」とどのように向き合うのかという対話に移行することができました。「そもそも私たちはなぜ脱魔術化を目指しながらも、新しい魔術に囚われてしまうのか」という問いについて対話が弾み、私たちの仕事と生活に深く浸透したアメリカニズムについて距離を置いて眺める視点が、おのおの持つことができたのではないかと自負しています。

次回は、今回の議論との関係性、そして現今繰り広げられているロシアによるウクライナ侵攻についての考察を深めるために、「戦争と平和」テーマで議論を行います。主にカントの『永遠平和のために』を典拠として対話していきます。