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【論文寄稿】日本建築学会「哲学と工学の対話の試み~技術決定論と民主的合理化~」

代表の野末が日本建築学会に論文「哲学と工学の対話の試み~技術決定論と民主的合理化~」を寄稿しました。哲学カフェにおける対話がベースとなって執筆することができました。対話に参加してくださった皆様と、きっかけを与えてくださった熱心な参加者である富樫様に感謝いたします。

<参考>人為的要因による自然災害の防止に向けた技術・社会に関する特別研究委員会(第二次) | 日本建築学会

下記は寄稿論文の概略です。

近年の IT 技術は指数関数的速度で進行している。技術が社会から自律して、しかも社会に大きな影響を与えるという「技術決定論」は、核技術をめぐって 20 世紀から唱えられてきたが、21 世紀になり IT 技術の指数関数的速度の進展を伴いそのリアリティは増している。この決定論の源流の一つは哲学者ハイデガーにある。彼の提唱した「ゲシュテル」と「テクネー」という概念の妥当性を、「政治的存在論」(ブルデュー)を通して検証する。その上で、それを批判したフィンバーグの「民主的合理化」の議論を取り上げ、その中にある政治的契機を明確にする。

哲学と工学の間で格闘している私にとって、とても意義深い論文となりました。これから詳細を掘り下げていきたいと望んでいますし、いま哲学カフェで連載している「メタバース」シリーズはその一端です。今後もおつきあいください。

映画『マトリックス』のイメージ

【活動報告】第46回哲学カフェ×ミュージアム「メタバースと哲学の間で」2022/05/15

5/15(日)にFactory Art Museum Toyama において「メタバースと哲学の間で」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地参加者7名、オンラインでの参加者2名でした。

前回のおさらいとして、メタバースの定義の確認をした上で、今回底本としているチャーマーズの『Reality +』の概略案内を改めて行いました。中でも、バーチャルリアリティは物理的現実よりも純粋な現実であるというテーゼを強調して説明しました。

今回新しく導入するテーマとして、映画マトリックスで有名になった「シミュレーション仮説」を説明しました。私たちと取り巻く世界は、はコンピュータシミュレータによって運用された存在にすぎないという考え方です。

それを検証するための哲学として、デカルトの方法的懐疑と「我思う、ゆえに我あり」という有名なテーゼを説明しました。邪悪な悪魔によって錯覚をさせられているという全面的な方法的懐疑によって、疑う私の思考作用と、その私の存在は疑うことができないという結論が出てくるわけですが、その思考作用もシミュレータによって操作されているかもしれないとするチャーマーズの見解も紹介しました。チャーマーズは、「私には思考の働きがある、ゆえに私は存在している」とすべきだとしている興味深い提案も紹介しました。

今回は実際にメタバースに習熟するユーザーが参加されていたり、心理の勉強とそれを活かした仕事をされている方が参加されていたりして、その経験をもとにご意見を頂きました。

実際にメタバースに没入する方にとって、「邪悪な悪魔の操作」というデカルトの方法的懐疑は実にしっくり来るものであるという感想をいただきました。メタバースはクリエーターが作り出すシミュレーション世界で、ユーザーはその掌で転がされているような感覚になるのかもしれません。

カウンセリングをすることは、まさにシミュレーションされた思い込みからクライアントを解放することになるわけで、対話を主催するこちらも学ぶところが多かったです。邪悪の人が自分の意図通りに動くように、相手に思い込みをシミュレーション・プログラミングされるケースが多いことも知ることができました。

こちらからは、バーチャルリアリティとその外部という問題について提案しました。チャーマーズのテーゼにあるように、バーチャルリアリティは純粋な現実を作り出すのですが、そこからは自然や不純物を取り除いているわけです。天候不順や飢えも悪臭もない快適なシミュレーション世界ではありますが、不都合な現実を捨象していることを念頭に置いて、バーチャルリアリティを相対化することが必要です。

また、バーチャルリアリティに対して対峙するもう一つの存在は絶対者です。チャーマーズはいみじくもプラトンの洞窟の比喩を取り上げていますが、その背後にある絶対者たる善のイデアについての言及がありません。人間が眩しくて直接認識できない太陽のような善のイデアは、人工物であるバーチャルリアリティの中にはありえませんし、方法的懐疑の外部、そして人工物であるシミュレーション仮説の外部にしかありえません。そのようにして、バーチャルリアリティを相対化することが必要であることも説明しました。

次回は、6月19日に開催します。引き続き『Reality +』を読み進めていきます。私の大好きなバークリーが登場します。どうぞお楽しみに。

バーチャル空間に飛び込むイメージ

【活動報告】第45回哲学カフェ×ミュージアム「メタバースとは何か?」2022/04/17

4/17(日)にFactory Art Museum Toyama において「メタバースとは何か?」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地参加者4名、オンラインでの参加者8名でした。新型コロナ感染症が流行以後では一番の参加者数で盛り上が士ました。

当日のホワイトボート
当日のホワイトボート

第一部ではレジュメに沿って、メタバースの定義を「3DCG空間においてゲームコミュニティが成立していること」と限定的に定めました。メタバースは最近になって人口に膾炙したので、定義が百花繚乱状態になっています。そこで実践的な定義に関しては、日本でも有数の実践者である佐藤航陽さんの最新刊『世界2.0』にある定義にもとづいて進めました。

第二部では、哲学的にメタバースをいかに捉えるかという目的意識で、デイヴィッド・チャーマーズの最新刊『Reality +』に基づいて進めました。チャーマーズの哲学的な立脚点として、胡蝶の夢・ナラダの変身・プラトンの洞窟の比喩の三つがあることをご紹介しました。その中でも特に、プラトンの洞窟の比喩に絞って議論を行いました。洞窟の比喩では影絵を真実と思いこむ人たちを、真実の太陽へと誘うのが哲学者の役割だとされていましたが、ヘッドセットを装着してメタバースに興じる人たちの様子が、なんともこの洞窟の比喩に重なります。

その上で、チャーマーズがよく主張していて、ファシリテータにとって興味深いテーゼを二つご紹介しました。

一つ目のテーゼは、メタバースのデバイスは哲学者がかつて考えていた命題を具体化しているというものです。確かに、プラトンの洞窟の比喩もそうですし、ライプニッツの二進法やそれにもとづくモナドの考え方がメタバースにまつわり理解がしやすくなっているのではという話をしました。

二つ目のテーゼは、物理的な現実よりもバーチャルな現実の方が純粋な現実であるというものです。このテーゼは大いに議論を促すkこととでしょう。当日の哲学カフェの中でも違和感の方が強かったような印象を受けました。確かに、食事や排せつ、セックスといった物理的要素でしか成り立たない領域もありますから、バーチャルな現実だけが真実を占有するわけではないのは当然のことです。しかしながら、文字で書かれたビジョンや、2次元の映像で描かれたイメージが人々を動かしてきた現実ももう一方であるわけで、それが3DCGとなった場合、大きな影響を人類に与えうることは念頭に置いておく必要はあるでしょう。

第三部では、メタバースにまつわる世界2.0や神の民主化などのキーワードを、参加者と吟味しながらフリーディスカッションを行いました。所詮はメタバースの作り手の都合に制約されて、生のままの自然やものを捨象して、自分にとって都合のいいものに囲まれているだけではないかという指摘もありました。それはすでに2次元のインターネットでも侵食してて、それが3次元化した時により激しく進行した時の事態を理解しておかねばなりません。

次回もメタバースをテーマに議論していきます。プラトンやライプニッツに焦点を絞って哲学的に抽象度を上げて議論をしていきます。もちろん具体的な現実へのフィードバックをしながら議論します。