4/17(日)にFactory Art Museum Toyama において「メタバースとは何か?」をテーマとして哲学カフェを開催しました。
現地参加者4名、オンラインでの参加者8名でした。新型コロナ感染症が流行以後では一番の参加者数で盛り上が士ました。
第一部ではレジュメに沿って、メタバースの定義を「3DCG空間においてゲームコミュニティが成立していること」と限定的に定めました。メタバースは最近になって人口に膾炙したので、定義が百花繚乱状態になっています。そこで実践的な定義に関しては、日本でも有数の実践者である佐藤航陽さんの最新刊『世界2.0』にある定義にもとづいて進めました。
第二部では、哲学的にメタバースをいかに捉えるかという目的意識で、デイヴィッド・チャーマーズの最新刊『Reality +』に基づいて進めました。チャーマーズの哲学的な立脚点として、胡蝶の夢・ナラダの変身・プラトンの洞窟の比喩の三つがあることをご紹介しました。その中でも特に、プラトンの洞窟の比喩に絞って議論を行いました。洞窟の比喩では影絵を真実と思いこむ人たちを、真実の太陽へと誘うのが哲学者の役割だとされていましたが、ヘッドセットを装着してメタバースに興じる人たちの様子が、なんともこの洞窟の比喩に重なります。
その上で、チャーマーズがよく主張していて、ファシリテータにとって興味深いテーゼを二つご紹介しました。
一つ目のテーゼは、メタバースのデバイスは哲学者がかつて考えていた命題を具体化しているというものです。確かに、プラトンの洞窟の比喩もそうですし、ライプニッツの二進法やそれにもとづくモナドの考え方がメタバースにまつわり理解がしやすくなっているのではという話をしました。
二つ目のテーゼは、物理的な現実よりもバーチャルな現実の方が純粋な現実であるというものです。このテーゼは大いに議論を促すkこととでしょう。当日の哲学カフェの中でも違和感の方が強かったような印象を受けました。確かに、食事や排せつ、セックスといった物理的要素でしか成り立たない領域もありますから、バーチャルな現実だけが真実を占有するわけではないのは当然のことです。しかしながら、文字で書かれたビジョンや、2次元の映像で描かれたイメージが人々を動かしてきた現実ももう一方であるわけで、それが3DCGとなった場合、大きな影響を人類に与えうることは念頭に置いておく必要はあるでしょう。
第三部では、メタバースにまつわる世界2.0や神の民主化などのキーワードを、参加者と吟味しながらフリーディスカッションを行いました。所詮はメタバースの作り手の都合に制約されて、生のままの自然やものを捨象して、自分にとって都合のいいものに囲まれているだけではないかという指摘もありました。それはすでに2次元のインターネットでも侵食してて、それが3次元化した時により激しく進行した時の事態を理解しておかねばなりません。
次回もメタバースをテーマに議論していきます。プラトンやライプニッツに焦点を絞って哲学的に抽象度を上げて議論をしていきます。もちろん具体的な現実へのフィードバックをしながら議論します。