1/15(日)にFactory Art Museum Toyama において「生活世界とは何か?」をテーマとして哲学カフェを開催しました。前回の「話せば分かるのか?」は、ハーバーマスのコミュニケーション的行為をめぐって議論をして、その中のシステムと生活世界の相克関係が参加者の皆さんの興味を強く引いていました。そこで、そのベースにある「生活世界」そのものについて議論する必要があると考えて今回のテーマ設定となりました。
現地参加者8名、オンラインでの参加者2名でした。リピート参加の方と新規参加の方がそれぞれいらっしゃいました。現地参加がコロナ前の水準に回復しつつあり、とても活気のある会となりました。
第1部では、ファシリテータの野末から基礎知識の共有を行いました。
フッサールが提案した「生活世界」の概念が、彼の創始した現象学に由来することをまずは紹介しました。そして、それがハイデガーの世界内存在、メルロ・ポンティの身体論、そして近年流行しているケア論にも大きな影響を与えていることをご紹介しました。
システムが生活世界を植民地化しているという図式のおさらいもしましたが、やはり現今のITが指数関数的な進化を遂げていて、人びとの素朴な感情を置き去りにしている状況を説明する上で分かりやすいのか、前回以上に強い関心を持たれていました。
これに対して、第2部と第3部では、生活世界からシステムへ働きかけるコミュニケーション的行為の可能性について前回から引き続いて議論が進みました。SNSが私たちの人間関係を蝕む時代において、私たちがIT企業に疑念を突き付けることは意味があるとは思うが、市民が能動的にシステムに深く関与する主体性を維持することはやはり困難ではないかという疑問が出ました。それについては、「弱いつながりの強さ」の理論があることを紹介しました。つまり、SNSで弱くつながり合う中から、強いつながりに至るきっかけを模索することは可能ではないかという見解を共有することができました。
こちらの意図とは異なり、生活世界や現象学の話にはつながりませんでしたが、前回からの継続した議論を深堀で来たという点では意義があったと思います。
次回は、システムの中枢を占める技術が私たちに及ぼす影響をもう少し考えてみます。具体的には、ユク・ホイさんの『中国における技術への問い』をもとに、以前からこの哲学カフェで考えられていたテーマについて考えていきます。