8/20(日)にFactory Art Museum Toyama において「LGBTとは何か?」をテーマとして哲学カフェを開催しました。LGBTトイレやジャニーズ事務所の性的虐待問題、りゅうちぇるさんが亡くなった問題など、世間の耳目を集めるテーマが多いですが、現象面にとらわれずに現代哲学の背景を踏まえながら、ディスカッションを行いました。
現地参加者5名でしたが、新規参加の方が2名いらっしゃいました。感情を刺激するテーマであるためか、大変熱を帯びた議論となりました。
第1部では、参加者の基礎知識を揃えるために現代思想がマイノリティについて何を考えてきたのかを、ニーチェやフーコー、そしてドゥルーズ=ガタリのセクシャリティやマイノリティについての考え方を概観しました。とりわけ、ドゥルーズ=ガタリのマイノリティ論は、マイノリティがマジョリティの領土化から逃れるばかりでなく、マイノリティ/マジョリティの枠組みすらも破壊しようとする流動性と新陳代謝を重んじている点で、カテゴライズされることから逸脱しようとするLGBTの問題群を考える上で参考になるばかりでなく、そもそも性的マイノリティの運動を革命の種として積極的に擁護するのではないかと問題提起を行いました。
その上で、第1部の途中から第2部までは、その基礎知識を踏まえた上で性的マイノリティについての考え方を議論しました。感情を刺激するテーマであるためか、かなり白熱した議論となりましたが、導入部の現代思想の基礎知識に立ち返るよう努めました。そのため、単なる思い込みをぶつけ合う議論にはならず、お互いの「思い込み」を自覚し合いながら話し合うことができました。
第3部では、第2部で浮上した「ホモソーシャル」という概念を掘り下げてみました。ホモソーシャルとは、性と同性愛を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性を意味する社会学用語とされていますが、日本でも行政機関や企業において、学閥や門閥などとしてホモソーシャルが機能しており、それが性的マイノリティの生きづらさにつながっているのではないかと分析しました。
初めて参加された方から「意見がなかなかまとまりませんね」と指摘を受けましたが、主催する私自身も第1部で紹介した現代思想から多分に影響を受けていることを自覚しました。というのも、意見集約という営み自体が典型的な領土化であり、参加者を一つの意見でまとめ上げることを良しとしないと考えていたのも、実はドゥルーズ=ガタリの問題意識の中で動いていたに過ぎないからです。
現代思想、とりわけポストモダンの哲学は性道徳の破壊と相対化を行いましたが、ジャニーズ事務所の性的虐待問題を見るからに性道徳の再構築も必要であることも痛感します。これは21世紀の哲学に課せられた使命であり、環境倫理学や動物倫理学で試みられています。そういった問題意識で哲学カフェも再構築し直す必要を実感しました。
次回は、21世紀の哲学として盛んに論じられている環境倫理学について、この夏の酷暑を経験した上で取り上げます。