【活動報告】第67回哲学カフェ×ミュージアム「情熱と冷静の間のカント哲学!?」2024/2/18

2/18(日)にFactory Art Museum Toyama において「情熱と冷静の間のカント哲学!?」をテーマとして哲学カフェを開催しました。

現地7名、オンライン参加4名での開催となりました。季節外れの陽光に恵まれて現地参加者も多かったですが、オンライン参加も久々に3名以上になり、その中には初参加の方もいらっしゃいました。

前回の陰謀論で、カール・ポパーが反証可能性の概念を提起していましたが、そのルーツにカントの批判哲学があることを紹介しましたので、今回はそのカントを深堀することなりました。

とはいえ、カントは近世哲学の偉大な哲学者で、その影響は現代も大きな影響を与えていて、その内容をわずか3時間で論じることにそもそもの無理があるので、個別のテーマは別の機会に論じることとして、今回はカントの問題意識と現代に与える影響、そしてそれに対する批判的な考えを紹介しました。

物自体は4つのアンチノミーに見られるように理性は錯誤を犯してしまうため認識することができず、実践の対象であらざるをえないことをごく簡単に紹介して、神や自由意志の問題は実践理性批判において展開されたことを話しました。そして、自己決定権や思想良心の自由など私たちに馴染みのある概念はカントに由来する点も説明しました。そこから、『永遠平和のために』に見られるような国家の尊厳と自己の尊厳のアナロジーに敷衍されて、国家における民族自決権につながり、その主権を持った国家同士が連合するというカントの着想が現代の国際連合につながっている点も説明しました。

『啓蒙とは何か』においては「自分で頭で考える」ことが啓蒙につながるということがテーマになっていますが、その点もカントの批判哲学から敷衍されていることが説明できるので、カント哲学の一貫性をざっくりとご理解いただくように努めました。

難しい話をしたので議論が盛り上がらないのではないかと想定していましたが、豈図らんや、質疑応答からかなり突っ込んだやり取りがあり、事前に100分de名著『純粋理性批判』の解説本を予習した方からも、フッサールの現象学との比較についてなどかなりディープな応答もありました。

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/98_kant/index.html

カントの場合は「良心に基づいて自己決定する主体」が前提となっていますが、フッサールにおいては、特に晩年において生活世界であれこれ気遣う受動的な人が前提となっていて、そこにカントが把握できなかった人間像を見出すことができるわけです。

分断やポピュリズム、そしてパンデミックから紛争に至るまで、現代社会が抱える様々な問題がありますが、問題を解決するためには人間像の転換が必要となります。現象学の考えはその一つの候補となりますが、次回で提案したいのは「ケアの倫理」です。つまり、ケアする存在としての人間像です。自己決定する主体ではなく、ケアする/される存在としての人間です。特に、フェミニズムの視点からの研究が充実しています。

カントが残した功績を評価しつつ、カントもまた反証可能性にさらされる存在ですので、「ケアの倫理」批判的に継承していくこととなります。

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