【活動報告】第85回哲学カフェ「技術の根回しは可能か?」2025/7/20

7/20(日)、定例開催のFactory Art Museum Toyama で、現地6名による開催となりました。大いに盛り上がった会となりました。

はじめに

今回の哲学カフェでは、技術のあり方に対する市民の介入方法について、日本の伝統的な合意形成プロセスである「根回し」を主題とし、その対立概念としての「公開議論」と比較検討した。議論は、「根回し」の多面的な機能と性質の分析から始まり、その背景にある文化的文脈、そして「公開議論」が成立するための条件へと展開しました。最終的には、アンドリュー・フィーンバーグとマルティン・ハイデガーの思想を補助線とし、両プロセスが複雑に絡み合う現実と、その根底にあるべき倫理観、そして今後の新たな問いが探求されました。本稿は、参加者によってまとめられた議論の要点を基に、当日の思索の軌跡を報告しています。

当日のホワイトボード
当日のホワイトボード

第1部:「根回し」の多角的分析 ― 秘匿性の功罪と文化的背景

議論の出発点として、まず「根回し」というアプローチが持つ多面的な性質が分析されました。その特徴は「秘匿性」にあるとされ、様々な機能と評価軸が提示されました。

  • 機能と目的:
    • 円滑化と課題共有: 「聞いてないよ!」という事態を防ぎ、事前に課題を共有することで、物事を円滑に進める。
    • 効率化: 合意形成の効率化を図るという側面。
    • 戦略性: 「結論ありき」で進められる戦略的な行為であり、反対意見を持つ者への「口封じ」や、議員の数集めのような「個別折衝」といった側面も持つ。
  • 性質と評価:
    • 二面性: 「圧力」であると同時に「お願い」でもあるという二面性を持つ。
    • 倫理的基盤: その行為の是非は、「善なる心の有無が大事」であり、根回しという行為「それ自体は中立的」であるという見解が示された。
    • 能力評価: 日本の組織文化においては、「根回しが下手な人は能力が低い」と見なされる傾向も指摘された。
  • 文化的・歴史的文脈:
    • 語源とアナロジー: 「土」に対するアクションという語源に触れ、それが「人」にたとえられる場合、「一子相伝の技術みたいなものか?」というアナロジーが提示された。
    • 普遍性: 「日本だけか?」という問いに対し、各国の「ロビイング」活動との共通性が指摘され、必ずしも日本固有の現象ではない可能性が示唆された。しかし、その背景には「ハイコンテクスト」な文化が深く関わっていると分析された。

第2部:対立概念としての「公開議論」― 公開性の理想と現実

次に、「根回し」の対立概念として「公開議論」が取り上げられ、その性質と成立条件が考察されました。

  • 成立の前提条件: 公開議論は、「全員が同じ情報と判断基準を持つことによって初めて成り立つのでは?」という、極めて高いハードルを持つ理想的なプロセスであることが確認された。
  • 性質とコスト: その性質は「公開性」にあり、オープンな議論を特徴とする。一方で、そのプロセスは「コストと時間がかかる」という現実的な課題を持つ。
  • 現代における傾向: 「公開性の比率は徐々に高まってきているのだろうか?」という問いに対しては、「徐々に高まっている」という認識が共有された。この背景には、「ローコンテクスト」なコミュニケーションへの移行や、「オープンソース」のような開かれた開発モデルの普及が関連していると考察された。

第3部:補助線としての思想家と、新たな問いの創出

最終セッションでは、これまでの議論を哲学的文脈に位置づけ、新たな問いを創出する試みがなされました。

  • 二人の思想家による補助線: まず、技術と人間の関係性を巡る二つの対極的な思想が確認された。
    • マルティン・ハイデガー: 「ゲシュテル」の概念に示されるように、人間は技術に駆り立てられ、制御することはできない。
    • アンドリュー・フィーンバーグ: 技術は民主的に合理化して制御できる。彼の「技術の民主的合理化」は、「公開議論」を考える上での重要な補助線となり、その具体例として「児童労働」の是正や「ボイラー」「Minitel」「環境アセスメント」の事例が挙げられた。
  • 二項対立の統合と、根源的な問い: 議論は、単に「根回し(秘匿性)」と「公開議論(公開性)」を対立させることに留まらなかった。
    • 現実の複雑性: 「実際は両者は複雑に入り組んでいるのではないか?」という視点が提示され、両者を明確に区切って評価することの限界が示唆された。
    • 倫理への回帰: 最終的に重要なのはプロセスの形式ではなく、「それこそ『善なる心』が背景にあることが重要なのでは?」という、行為の根底にあるべき倫理観へと議論は回帰した。
  • 未来への展望: 最後に、これまでの議論全体を統合し、未来への創造的な問いが立てられた。
    • 「フィーンバーグの議論を『根回し』(秘匿性)の領域にも広げられないか?」 この問いは、フィーンバーグが論じた「民主的合理化」の理念を、日本のハイコンテクストな文化の中で、いかにして創造的に応用できるかという、今後の探求に向けた重要な課題として提示され、議論は締めくくられた。

まとめ:

本哲学カフェにおける議論は、現代社会を覆う「テクノ封建制」の構造を多角的に分析すると同時に、その支配的な力学に対し、人間がデジタルとフィジカル両面における「ものづくり」という創造的実践を通じて主体性を回復し、新たな技術的・社会的選択肢を構築していく可能性を示唆しました。

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