ヘレニズムとヘブライズム

 

【先生】の投稿です。

ソクラテスが対話相手から知恵を引き出す「産婆法」を提唱したところから哲学が始まったことを思えば、【先生】という役割は適切ではありませんが、日本語で分かりやすい呼称がないから当面は【先生】でいきます。

 

次回のイベント「春なので、まったり哲学入門 〜西洋の哲学者は何を考えてきたのか~」でお話するテーマですが、標記の「ヘレニズムとヘブライズム」でいこうと思っています。

 

ヘレニズムはギリシャ哲学のこと、ヘブライズムはキリスト教を源流とする哲学のことです。ギリシャ神話はたくさんの神々が生き生きと登場してきて多神教ですね。それに対して、キリスト教は一神教です。その違いが哲学に明白に現れています。科学技術の発展や混迷も、このヘブライズムあってこそと指摘されることが多いように、現代はヘブライズムの世界観が支配的です。

 

日本人は、中江兆民が「日本に哲学なし」と喝破したように哲学的にものを考えることが不得手ですが、その両方を相対的に学ぶことができるメリットもあります。日本人が西洋哲学を学ぶ入り口として、ヘレニズムとヘブライズムを初歩的な知識だけでざっくり眺めることから始めてみたいと思います。

 

西洋哲学を源流のはじめの一歩からたどることで、現代社会が抱える難問を解決する糸口が見いだせるのではないかと思います。放射性廃棄物や核兵器を生み出した科学技術も、民主主義の芽を育てたジョン・ロックやエマニュエル・カントの考え方も哲学から出ているからです。

 

「我思う故に我あり」と言ったことで知られるルネ・デカルトは、誰もが等しく「良識」を持っていると人間の知性を信頼しています。日本人もまた、誰もが持つ「良識」を信頼して、根っこからものを考えることを共有できないかと模索する試みがこの哲学カフェです。優しい言葉でともに考えていきましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です