10/23(日)にFactory Art Museum Toyama において「戦争と平和」をテーマとして哲学カフェを開催しました。
現地参加者6名、オンラインでの参加者3名でした。現地参加の女性比率が50%となりひそかな目標が実現しました。
第1部では、ファシリテータの野末から基礎知識の共有を行いました。
底本としたカントの『永遠平和のために』をその哲学的背景から説明をしました。いわゆる「目的の王国」を論じている道徳哲学の具体的展開として『永遠平和のために』が成立していることをお話ししました。カントの道徳哲学では、個人の人格を目的として尊重して、手段として扱ってはならないことが論じられていますが、それを国家に援用しているわけです。現代に大きな影響を与えたとされる常備軍の廃止や国連の創設についても、この目的の王国の思想から展開しています。個人の自由意志を尊重することから、本人の意思に反して徴兵することを禁止することにつながりますし、個人の意志を各国家の意志になぞらえて、各国家の意志を尊重するための国際法を運用するための機関として国連創設を提案することにつながります。
そこから、『永遠平和のために』を読む現代的意義について触れました。民主主義国の割合をと専制主義国の割合が上回る事態になり、それがロシアによるウクライナ侵攻の引き金となったのではないかという点について問題提起しました。カントは永遠平和の条件の一つとして、「共和制」を挙げていたからです。
第2部では、この第1部の内容をふまえて、参加者の皆さんから質疑応答のやり取りを行いました。いつものことではありますが、やり取りの開始時は少し雰囲気が硬くなるのですが、やり取りが進むごとに雰囲気は緩和していきました。なぜこの十数年で、専制主義国の割合が増えてきたのかという問いに対して、私自身は十分な回答ができませんでしたが、IT技術の進化が為政者に悪用されて監視や支配の道具として導入されていったという補足の説明がなされて、カントの現代的意義が明確になりました。中国において生産された監視用の部品が大量生産されて、とりわけアフリカ諸国に安い値段で売られることで専制主義化を後押ししたことが説明されました。
カントは『永遠平和のために』の中で、商業的な結びつきが世界各国で深まれば深まるほど戦争が回避されるようになると述べているのに、このグローバル経済化した世界では必ずしもそうはなっていないことについては、どう考えたらよいのかという質問には、私は商業的結びつきそれ自体が戦争を回避する力があるわけではなく、「自然の王国」に向かうのか、それとも「目的の王国」に向かうのか、その動機が重要なのではないかという回答をしました。1795年に出された『永遠平和のために』には、21世紀のグローバル経済の動向まで読み切るのは難しかったのではないかという面もあるでしょう。
第3部ではかなり議論が白熱しました。第2部では発言のなかった方からも活発に質問や意見が飛び交うようになりました。個人的にはカントの二元論に対する違和感に対する質問が興味深かったです。無分別知の方がしっくり来るとのことでしたが、だからと言ってそれが戦争を回避する一手にもなりえず、なかなか私自身も良い解答ができず申し訳なく思いました。
次回は、同じくカントの『啓蒙とは何か』を底本として対話を行います。人類は啓蒙されうるのか、そして賢くなることができるのかがテーマとなります。人類は懲りずに戦争を繰り返してきてしまい、カントの時代からあまり賢くなっていないのではないかという同意が得られましたが、そのカントが説いている『啓蒙とは何か』をもとに、戦争が回避されうる可能性について考えていきます。