10/22(日)にFactory Art Museum Toyama において「お金とは何か?」をテーマとして哲学カフェを開催しました。
前回の哲学カフェでは、環境倫理学とは何かというテーマで議論しました。環境問題に対する人間の責任や価値観について、様々な視点から考えることができましたが、風力発電1基をとっても数十億円のプロジェクトになってしまい、結局はお金の問題に尽きるのではないかという見解にたどり着きました。
そこで、今回はずばり「お金とは何か」という問いに挑みました。お金は私たちの日常生活に欠かせないものですが、その本質や意味はなかなか捉えにくいものです。お金はどのように生まれ、どのように流通し、どのように消滅するのでしょうか。お金は人間の幸福や社会の正義にどのように影響するのでしょうか。お金に関する哲学的な思考を深めるために、以下の二人の著者の本を参考にしました。
まず、マリアナ・マッツカートの「ミッションエコノミー」を紹介しました。マッツカートはイタリア出身の経済学者で、イノベーションや公共価値に関する研究で知られています。彼女は本書で、現代社会における経済学の限界や問題点を指摘し、新しい経済パラダイムを提案しています。彼女は、経済学が市場や競争を神聖化し、国家や公共部門を無視したり悪者扱いしたりしてきたと批判します。彼女は、国家や公共部門がイノベーションや社会的変革を牽引する重要な役割を果たすことができると主張します。そのためには、国家や公共部門が単なるサービス提供者ではなく、ビジョンやミッションを持つ創造的な主体として機能する必要があると言います。彼女は、アポロ計画を例に挙げて、国家や公共部門が市民や民間企業と協働して大きな目標に向かって挑戦することで、経済的・社会的・環境的な価値を生み出すことができると説明します。彼女は、私たちがお金や経済に対する考え方を変えることで、より公正で持続可能な社会を実現できると提唱します。
次に、政府高官のブレインを務める彼女とは対照的な立場に立つデイビッド・グレーバーの『負債論 貨幣と暴力の5000年』を紹介しました。グレーバーはアメリカ出身の人類学者で、アナーキストとしても活動していました。彼は、お金とは負債であると明言して、その負債を人類学の歴史的・文化的・社会的な観点から分析しています。彼は、貨幣と暴力の5000年の歴史を以下のようにまとめています。
年代 | 信用と地金の関係 | 地域 | 特性 | 貨幣の流通形態 | 象徴となる人物 | |
B.C.3500~800 | 信用>地金 | メソポタミア、エジプト、中国 | 物品・労役の貸借の履歴管理 | 超越性 | 借用証書:共同体内での流通、利子の否定、徳政令 | |
B.C.800~A.D.600 | 信用<地金 | ギリシャ、インド、中国 | 統一をめぐる戦争→哲学・宗教の発展 | 唯物論 | 傭兵への報酬:地金による支給 | ピタゴラス、プラトン、仏陀、孔子・孟子 |
A.D.600~1450 | 信用>地金 | 中国、インド、中東、西洋 | 商品市場と普遍宗教の融合、宗教が経済を統制 | 超越性 | 手形、割符、紙幣、複式簿記、利子の否定 | |
A.D.1450~1971 | 信用<地金 | 西洋(大航海時代) | 宗教改革、科学の発展 | 唯物論 | 奴隷労働、金銀鉱山の開発、国外・共同体外との交易 | ルター、カルヴァン、ツウィングリ |
A.D.1971~ | 信用>地金 | ニクソンショック、世界金融危機 | 金融資本主義、経済成長の終焉 | 超越性? | 不換紙幣、ペトロダラー、クレジットカード、仮想通貨 | ニクソン |
信用と地金という対立軸をもとに明快に5000年の歴史絵巻をまとめあげる様には感嘆させられますが、同時に疑問や批判も残ります。例えば、彼の歴史観は単純化されすぎていないか?彼の負債論は実証的に検証できるか?彼のアナーキズムは現実的な解決策を提案できるか?などです。
対照的な2人の著者の本を参考にして、哲学カフェではお金とは何かというテーマについて議論しました。参加者はそれぞれ自分の経験や知識や意見を持ち寄って、ポイントやふるさと納税など現実に機能する現象を参照しながら、お金に関する様々な側面や問題点を共有しました。お金は私たちの生活や社会に深く関わっているものですが、その本質や意味はなかなか明らかではありません。お金に対する哲学的な思考を深めることで、私たちは自分自身や他者や社会との関係を見直すことができるかもしれません。
貨幣経済における計算的な志向と哲学宗教に与える影響についてのグレーバーの分析が実に興味深いものでしたが、政治経済において「計測」は避けられず、GDP主導の社会は問題が多いのは確かですが、それに代わる指標の導入は急務です。その一つとして模索されているウェルビーイングという概念について、次回は哲学カフェのテーマとします。富山県では新田知事の肝煎り政策となっていて、賛否両論喧しい状態となっていますが、そのノイズを抑制した上で哲学的な光を当てて、深く理解を努めて対話を促していくつもりです。