8/17(日)、定例開催のFactory Art Museum Toyama で、現地5名、オンライン1名による開催となりました。、3Dプリンタという現代技術を切り口に、西田幾多郎の「行為的直観」という哲学概念を読み解き、これからの「つくる」ことの本質と未来を探求する、熱意に満ちた対話の場となりました。大いに盛り上がった会となりました。

第1部:3Dプリンタと「行為的直観」の共鳴
まず、主催者より、3Dプリンタが持つ「設計と製作のシームレスな関係性」が、西田哲学の「行為的直観」と深く共鳴する点について問題提起が行われました。デジタルデータ(思念)が、ほとんど時間的・空間的な断絶なく物理的な「もの」として現出して、それを見て設計者の思念を修正して、さらにものを改善するという高速のプロセスは、「作られたものから作るものへ」という、行為的直観の弁証法的な性質を、現代の技術で見事に体現しているのではないか、と。
参加者からは、このシームレスな関係性が、実践と理論、制作と設計の壁を溶かし、作り手の創造性を活性化させるという意見が寄せられ、活発な議論の幕開けとなりました。
第2部:ハイデガー哲学との比較と、新たな課題の浮上
議論を深めるため、他の哲学との比較が行われました。特に、ハイデガー哲学との対比が中心的なテーマとなりました。3Dプリンタが可能にする、作り手と「もの」との循環的な対話のあり方は、ハイデガーの言う「世界内存在」における解釈学的循環(世界を理解しつつ、その理解によって自らも変えられていくプロセス)と強い類似性があることが指摘されました。
一方で、テクノロジーが人間を単なる資源として駆り立てる「ゲシュテル(総駆り立て体制)」とは、どう違うのか、という鋭い問いも投げかけられました。ここから議論は、本日の核心的な課題へと発展します。すなわち、「創造性の活性化は、逆説的に、作り手を終わりのない自己改善へと駆り立て、新たな労働の疎外やブラック化に繋がるのではないか?」という、テクノロジーが持つ光と影の両面を直視する、極めて重要な論点が提示されました。
第3部:「行為的直観」を私たちの言葉で掴む
最後に、抽象的な概念を、参加者それぞれの具体的な経験から捉え直す試みが行われました。
ある参加者からは、「過去の実験のプロセスで、物の身になって考えることで、材料の適切な温度に気づいた経験がある」という、まさに「もの」との対話から知が生まれる事例が共有されました。
また、伝統的なマタギが、「獲物の夢を見るほどに対象と同一化することで、初めて仕留めることができる」という技術観を持つことも、行為的直観のあり方として挙げられました。
さらに、複雑で個別性の高い人間の身体を扱う医師の技能も、行為的直観の性質が強いのではないか、という指摘に対し、「医療ロボットの普及は、その暗黙知に支えられた豊かな世界観を、効率の名の下に崩壊させてしまうのではないか」という、未来への深い懸念が示され、対話は締めくくられました。
今回の哲学カフェは、一つの技術から始まり、哲学的な比較、社会的な課題、そして個人の実感へと、対話が有機的に広がっていく、非常に実り多い時間となりました。ご参加いただいた皆様の真摯な問いと洞察に、心より感謝申し上げます。