10年以上前にイギリスで出版された “Capitalist Realism”-『資本主義リアリズム』をネタ本として、今回の哲学カフェを開催いたしました。
現代日本の資本主義社会においてリアリズムとは何か?という問いかけは、10年前のイギリスの思潮からも学ぶことができると考えて企画しました。
会の最初に、日本はイギリスやアメリカと同様、新自由主義的な経済改革が1980年代に成し遂げられたからであることを説明しました。1980年の転換が『資本主義者リアリズム』でも触れられています。イギリスではサッチャリズム、アメリカではレーガノミクス、日本では中曽根総理が経済改革を成し遂げました。日本では1980年代にJR・NTT・JTなどの民営化が行われました。
公共の事柄が市場原理のロジックで語られるムード、それが「資本主義リアリズム」であると著者のマーク・フィッシャーが定義づけていたこともあわせて説明しました。
そのムードの裏で、資本力を持つものがますます公共をハックしていて、これから社会に参入するイギリスの若者がその状況を無意識的に絶望して、YouTubeを見て心の病を癒そうとする状況を著者が抉り出しています。その心の病にしても、個人の責任にされて抗うつ剤を服用させられ、ますます資本力を持つものが力を増大する悪循環に陥っている状況を著者は鋭く描いています。
ともに、本書の副題である「この道以外にはないのか?」(サッチャー首相の「この道しかない」のキャッチフレーズのパロディ)を探る会としました。
当日は、富山マラソンに参加するランナーも、レース後この会場に帰還するという祝祭感もあり、硬いテーマであるにも関わらず、穏やかに語り合うことのできた会となりました。
個人的には、「新自由主義風カルテル」という現代の病についてのネーミングがとても気に入りました。ケインズ主義から新自由主義となり、その後に来る時代は何なのか。それをはっきり示してほしいという問いかけもあり、私自身ももっと研究を進めて、ビジョンを明確にしなければとミッションを新たに見出すことのできた会となりました。
ジョーカーという上映中の映画との連想を得た人もおられて、事実下記の記事もあり、とても考えさせられる材料が多かったです。
Ambiguity, Class Conflict and Mental Health in Joker – Mostly About Stories
Mark Fisher’s Capitalist Realism: Mental Health in a Mental World
マーク・フィッシャーが10年前(リーマンショックの頃)に告発した状況が、ついにメジャーシーンでも取り上げられていることに驚きます。トランプ現象やブレグジットもその一つの現われなのだと実感します。
新たな時代のビジョンを具体的に哲学的に描く必要性を痛感しました。私自身もこれまで以上に努力して時代と哲学的に格闘していきますので、今後も引き続きよろしくお願いいたします。
みなさま、ありがとうございました。
参考