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【活動報告】第81回哲学カフェ「生きがいと善の研究、その可能性と限界について」2025/3/23

3/23(日)、今回は定例開催のFactory Art Museum Toyama で、現地6名、オンライン3名参加者による開催となりました。大いに盛り上がった会となりました。下記が概要となります。

当日の会場の様子

議論の主要内容

1. 生きがいと哲学的探求

  • 生きがいと支え:生きがいとは何か、それをどのように見出すのかが議論の中心でした。生きがいは単なる幸福や満足感ではなく、深い内面的な動機や存在意義に関わるものとされました。
  • 西田幾多郎の哲学:西田幾多郎の思想が参照され、特に「純粋経験」や「絶対無の場所」が生きがいを考える上で重要な概念として取り上げられました。
  • 純粋経験:純粋経験は単なるフロー体験(没入状態)とは異なり、一切の判断や概念化が排除された直接的な経験を指します。西田の哲学では、この純粋経験が真実の認識の基盤とされています。
  • 絶対無の場所:これは社会的な属性(職業、地位、役割など)や、さらには絶望や悲しみといった感情すらも否定された場所です。自己や世界を根本から見直すための哲学的な基盤として提示されました。
  • 生きがいと絶対無:生きがいは、この「絶対無」の状態から新たに生まれる可能性があるのではないか、という問いが投げかけられました。

2. 哲学の動機とグリーフケア

  • 哲学の動機は悲哀:哲学的探求の根底には「悲哀」があるという視点が強調されました。悲しみや喪失感が、自己や世界について深く考えるきっかけとなり、哲学的な問いを生み出すとされました。
  • グリーフケアとの関連:この悲哀を哲学的に捉えることで、グリーフケア(喪失体験への対処)に有効なアプローチが得られるのではないかと議論されました。哲学は、悲しみを単なる感情として処理するのではなく、存在の意味を再構築する手段となり得ます。

3. 行為的直観と生きがい

行為的直観:西田幾多郎の概念である「行為的直観」が取り上げられました。これは、単なる知覚や思考ではなく、行為を通じて直観的に世界を捉えることを意味します。生きがいを見出すプロセスにおいて、行為的直観が重要な役割を果たす可能性が指摘されました。

    4. 前回の振り返りと新たな問い

    新たな問い:ホワイトボードには「生きがいは本当に必要?」「動機→経験→動機(生きがいと悲哀)」「行為的直観はグリーフケアに有効?」といった問いが記されており、参加者がこれらのテーマについて深く考えを巡らせたことが伺えます。我を忘れて没頭するだけでなく、損得を忘れて大いなるものに人生をささげて善く生きようとする経験を描いた西田幾多郎の『善の研究』が一つの参考になるかもしれないと示唆しました。

    茂木健一郎と神谷美恵子の議論:前回の哲学カフェでは、茂木健一郎と神谷美恵子の視点から生きがいが議論されました。茂木は脳科学的なアプローチから、神谷は実存的な視点から生きがいを捉えており、これが今回の議論の土台となりました。

    京都学派の実践的失敗と戦後批判

    一方で、西田幾多郎とその弟子たちの京都学派の「近代の超克」議論は、実践的な面で大きな失敗を犯し、戦後に厳しい批判を受けることとなりました。以下にその点を整理します。

    1.戦争の現実と政治的権力闘争の無視

    • 京都学派の思想家たちは、「近代の超克」を理論的に追求する中で、戦争の現実や政治的な権力闘争の激しさを十分に考慮しませんでした。たとえば、1940年代の日本は、軍国主義が台頭し、太平洋戦争へと突き進む時期であり、思想的な議論が現実の政治状況と乖離していました。
    • 彼らの議論は、戦争を正当化するイデオロギーとして利用される危険性を持っていました。たとえば、「近代の超克」シンポジウムでの発言は、軍部や国家主義的な勢力によって、日本のアジア支配を正当化するプロパガンダとして解釈されることがありました。

    2.世間知らずの議論

    • 京都学派の思想家たちは、大学というアカデミックな環境で理論を展開しており、現実の社会状況や政治的な力学に対する理解が不足していました。たとえば、西田の「絶対無の場所」や「行為的直観」は、哲学的には深い洞察を提供しましたが、戦時下の日本社会でどのように実践されるべきかについての具体的な指針を示すことはできませんでした。
    • この「世間知らず」な姿勢は、戦後の批判において、「現実逃避的」「観念的すぎる」と指摘される要因となりました。

    3.戦後の批判

    • 戦後、京都学派は「戦争協力」の責任を問われることとなりました。たとえば、「近代の超克」シンポジウムでの議論が、軍国主義的なイデオロギーを間接的に支持したと解釈され、戦後のリベラルな知識人やマルクス主義者から厳しく批判されました。
    • 特に、西田の弟子である高坂正顕や西谷啓治は、戦時中の発言や著作が国家主義的な思想と結びついたとして、戦後責任を追及されました。西田自身は直接的な政治的発言を避けていましたが、彼の思想が戦争を正当化する文脈で利用されたことに対する批判は免れませんでした。
    • 戦後の日本では、京都学派の思想は「時代錯誤的」「非現実的」と見なされ、一時的に影響力を失いました。戦後日本の知識人は、民主主義や個人主義を重視する方向にシフトし、京都学派の東洋的な精神性や「近代の超克」議論は時代にそぐわないと判断されました。

    理論と実践の乖離

    • 京都学派の思想は、理論的には近代を超克する可能性を示しましたが、それを現実の社会や政治に適用する具体的な方法論を欠いていました。たとえば、「絶対無の場所」から新たな生きがいや社会秩序を生み出すプロセスは、哲学的には魅力的でしたが、戦時下の混乱や戦後の復興期において実践的な指針とはなり得ませんでした。
    • この理論と実践の乖離が、京都学派の実践的失敗の核心的な要因となりました。

      次回の哲学カフェへの展望

      西田幾多郎と京都学派挑んだ「近代の超克」は、西洋近代の普遍主義や二元論を超えようとして、特に「純粋経験」や「場所の論理」は、人間と世界の新たな関係性を示唆する壮大な試みでした。しかし、戦時の政治的現実に飲み込まれ、大東亜共栄圏のような国家主義に利用されたことで、その理想は挫折に終わりました。この「超克」の困難さは、単なる過去の失敗ではなく、近代という巨大な枠組みを批判的に見つめ直す私たちへの重い課題として残っています。どこでつまずき、どうすればその先へ進めるのか──。

      次回の哲学カフェでは、現代の技術哲学者ユク・ホイが、この「近代の超克」の複雑な遺産にどう向き合い、批判的に継承しようとしているのかを探ります。ホイの提唱する「宇宙技芸」は、技術を西洋の単一な進歩観や効率至上主義から解き放ち、各文化の宇宙論──たとえば日本の自然との共生や中国の「道と器」の思想──に根ざした多様な実践として再定義します。西田が形而上学的な思索で超克を夢見たのに対し、ホイはスマートフォンやAIが支配するデジタル社会、環境危機といった現実を直視し、技術の未来に具体的な道筋を描こうとしています。彼の視点は、近代の失敗を繰り返さず、私たちに何を問いかけているのか。たとえば、日本の伝統的な木造建築や、中国のWeChatが示すデジタル文化の違いをヒントに、技術の均質化に抗うことは本当に可能なのか──そんな問いを一緒に考えてみる予定です。

      ぜひご参加ください。

      【活動報告】第80回哲学カフェ「IKIGAIとは何か?」2025/2/16

      2/16(日)、今回は定例開催のFactory Art Museum Toyama で、現地6名、オンライン2名参加者による開催となりました。大いに盛り上がった会となりました。下記が概要となります。

      当日の会場の様子

      生きがいを巡る哲学カフェ:働き方改革とすき間バイトの影響、そして深まる議論

      「生きがい」について率直な意見を交わしました。今回は、現代社会における働き方改革やすき間バイトが「生きがい」に与える影響についても議論が展開されました。さらに、実際にすき間バイトを経験された60代の方の体験談を伺うこともでき、議論はより深まりました。議論の中では、「重い生きがい」と「軽い生きがい」の概念や、それぞれの代表的な論者である神谷美恵子氏と茂木健一郎氏の生きがい論についても検討が加えられました。

      西洋と日本の労働観から探る「生きがい」の概念

      前回のトッドの家族人類学においても論じられた、西洋と日本の労働観の違いからファシリテーターは説明しました。

      西洋では、プロテスタントの思想が根強く残り、「労働は罪の償いであり、資本の蓄積こそ救いにつながる」という考え方が存在します。一方、日本では「会社で貢献することが生きがい」という風潮が色濃く残っています。

      同じ「労働」という行為でも、その捉え方は文化によって大きく異なることが分かります。

      世界におけるIKIGAIの流行、そして茂木健一郎氏と神谷美恵子氏の生きがい論

      ファシリテーターはその次に、ブルーゾーンや長寿研究など、世界で流行するIKIGAI論の動向と、それを受けて日本人の立場で生きがい論をまとめた茂木健一郎氏の生きがい論と、古典的な生きがい論である神谷美恵子氏の生きがい論を紹介しました。

      多様な生きがい、そして見つけ方

      これを受けて、生きがいには「重い生きがい」と「軽い生きがい」があるのではないかという意見が出ました。

      「重い生きがい」とは、人生をかけるような目標や使命のこと。神谷美恵子氏の生きがい論がこれに該当すると考えられます。

      一方「軽い生きがい」とは、日々の生活の中で感じる小さな喜びや楽しみのこと。茂木健一郎氏の生きがい論がこれに該当すると考えられます。

      生きがいの種類は一つではなく、人によって、また時期によって変化するものであることが示唆されました。

      これらのキーワードは、生きがいを深く探求するためのヒントになるかもしれません。

      「重い生きがい」と「軽い生きがい」:それぞれの相違点と共通点

      議論の中で、「重い生きがい」と「軽い生きがい」の相違点について検討が加えられました。

      重い生きがい

      • 人生をかけた目標や使命
      • 社会貢献や自己実現
      • 芸術・文学・宗教・哲学などで精神世界を深める

      軽い生きがい

      • 日々の小さな喜びや楽しみ
      • フロー体験
      • 小さな楽しみに没頭して無我夢中になる

      それぞれの違いに対し、共通点として主体的に探求することが挙げられました。哲学的に深めるとするならば、我を忘れて没頭するだけでなく、損得を忘れて大いなるものに人生をささげて善く生きようとする経験を描いた西田幾多郎の『善の研究』が一つの参考になるかもしれないと示唆しました。

      当日のホワイトボード

      働き方改革やすき間バイトが「生きがい」に与える影響

      近年、働き方改革やすき間バイトといった新しい働き方が登場しています。これらの働き方は、「生きがい」にどのような影響を与えるのでしょうか?

      プラス面

      • 自由な時間が増えることで、自分の本当にやりたいことを見つけやすくなる。
      • 様々な仕事を経験することで、自分の才能や興味関心を発見できる。
      • 柔軟な働き方によって、仕事とプライベートのバランスを取りやすくなる。

      マイナス面

      • 非正規雇用や不安定な働き方によって、将来への不安を感じやすくなる。
      • 働く時間が減れば仕事の流れ全体が効率化されて、試行錯誤する時間が減らされるようになり、仕事の面白味が感じられなくなる傾向がある。
      • 労働量が減ると労働の質が下がる感じがする。
      • 孤独感や孤立感を感じやすくなる。

      個人次第という意見も

      働き方改革やすき間バイトが「生きがい」に与える影響は、個人によって異なると考えられます。

      例えば、

      • 自分のペースで働きたい人にとっては、自由な時間が増えることで生きがいを感じやすくなるかもしれません。
      • 一つの仕事を長く続けたい人にとっては、非正規雇用や不安定な働き方は不安要素となるかもしれません。

      実際にすき間バイトを経験された方の体験談

      今回は、実際にすき間バイトを経験された60代の方の体験談を伺うことができました。

      その方は、定年退職後、時間を持て余す傾向があったが、働くことによって世の中の人とかかわる喜びを感じるようになり、ついに農繫期にすき間バイトを始めたところ、様々な人と出会い、新しい経験をすることができたと言います。

      「すき間バイトを通じて、人生観や職業観が変わった」と、その方は語っていました。

      議論のまとめと今後の展望

      IKIGAIを深く理解するためには、重い生きがいも軽い生きがいも共通して、無我夢中でありながらも、滅私奉公になっては生きがいが失われるので主体性も大事だという点が浮かび上がってきました。

      その相反関係を紐解くためには、西田幾多郎の『善の研究』にある純粋経験が参考になるのではないかとファシリテーターが提案したところから、次回はそのテーマで哲学カフェを開催することになりました。

      【活動報告】第79回哲学カフェ「家族とは何か?―日本人の心に潜むその意味を問い直す」2025/1/19

      1/19(日)、今回は定例開催のFactory Art Museum Toyama に戻って、2025年初めての哲学カフェを開催しました。

      好天に恵まれて、現地8名、オンライン1名参加者による開催となりましたが、驚いたことに東京都から1名、福井県から1名の参加者がいらっしゃって、大いに盛り上がった会となりました。下記が概要となります。


      第1部:トッド『西洋の敗北』の概要と家族論・文明論の検証

      エマニュエル・トッドの著書『西洋の敗北』では、彼の家族人類学を基盤とした文明論的視点から、西洋の衰退を論じている。本書の中心的な主張は、家族構造が社会制度や価値観の形成に決定的な影響を与えるというものであり、トッドはこれを「核家族」「直系家族」「共同体家族」の三分類で分析する。

      • 核家族:個人主義が強く、自由と平等を重視する。西欧諸国で広く見られるが、個人主義の発展とともに社会的結束力が弱まる傾向がある。
      • 直系家族:世代間の強い繋がりを持ち、家父長的な価値観が支配的。日本やドイツに多く見られる。
      • 共同体家族:親族単位の結束が強く、個人よりも集団の価値が優先される。ロシアや中国に典型的な形態。

      これらの家族形態が、それぞれの地域の文明の成り立ちと密接に関連していることをトッドは指摘する。しかし、このモデルがどこまで文明論に応用可能なのかについては、参加者の間で活発な議論が交わされた。

      また、『西洋の敗北』では、西洋の衰退を「プロテスタンティズム・ゼロ状態」「プロテスタンティズムの労働倫理の衰退→労働の目的を見失う」「国民・ゼロ状態」といった要素で説明する。この見立ての妥当性についても、参加者の間で賛否が分かれた。

      さらに、トッドの方法論である家族人類学やデータ実証主義に対して、一部の参加者からは批判が見られた。定量的データを重視する姿勢は評価される一方で、データに依存しすぎると現実の複雑な要素を見落とす可能性があるとの指摘もあった。


      第2部:「日本人が強いられる選択は?」を個別具体から考える

      トッドは本書の中で、日本人が今後どのような選択を強いられるのかを問いかけている。この問いを出発点として、参加者は以下のようなテーマについて議論を行った。

      • データ実証主義への反発と克服の可能性
        • データ分析を無視することはできないが、それだけでは現実を正しく捉えられない。
        • 数値化できない要素(文化、価値観、倫理)をどのように評価すべきか。
      • 「感謝」という内面性の回復
        • 日本社会において、個人の尊厳や他者への感謝の意識が希薄化しているのではないか。
        • 感謝の文化をどのように再構築するか。
      • 生きがいの再定義
        • 労働の目的を見失いがちな現代社会において、生きがいをどこに見出すべきか。
        • 仕事、地域コミュニティ、家庭など、生きがいの源泉を多様化する必要がある。

      第3部:「日本人が強いられる選択は?」についての総括

      第2部の議論を踏まえ、日本社会の未来に関する総合的な考察が行われた。

      • 日本人の役割
        • 西洋の衰退が進む中、日本は独自の価値観と社会モデルをどのように発展させるべきか。
        • 日本の伝統文化や労働倫理の再評価が求められる。
      • 日本人の労働倫理
        • 「プロテスタンティズムの労働倫理の衰退」に対し、日本の労働倫理はどのように持続可能な形で維持できるか。
        • 過労文化の是正と、やりがいのある働き方の模索。
      • 「圧縮された近代」の弊害とその克服
        • 急速な近代化による社会的ストレスと自己中心主義の蔓延が、どのような影響を及ぼしているのか。
        • 伝統と近代化のバランスをどのように取るべきか。
      • 家と会社を手掛かりにできないのか?
        • 家族や企業コミュニティを通じて、社会の安定を取り戻すことは可能か。
        • 経済的合理性だけでなく、精神的な充足感を重視する社会構造の模索。

      まとめ

      今回の哲学カフェでは、エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』を手掛かりに、日本人が今後どのような選択を迫られるのかを深く議論した。家族構造と文明論の関連性、データ実証主義の限界、日本社会の持つ独自性など、多岐にわたる視点からの意見が交わされた。

      特に、「感謝」や「生きがい」の回復、労働倫理の持続可能性など、単なる理論にとどまらない具体的な提言が多く出されたことは大きな成果である。今後もこの議論を深め、より実践的な方向へと発展させていくことが求められる。

      次回の哲学カフェでは、IKIGAIがドイツで100万部のベストセラーを実現するなど、労働倫理を見失った西洋では日本「生きがい」という概念に注目が集まっている点に着目して、その可能性について検証したい。