8/14(日)にFactory Art Museum Toyama において「テクノロジーとサイボーグ化された身体」をテーマとして哲学カフェを開催しました。
現地参加者3名、オンラインでの参加者3名でした。前回は北京冬季五輪の閉会式に合わせて「オリンピックとは何か」をテーマに議論を提供してくれた高橋浩二さん(長崎大学准教授)を、今回は現地にお招きしました。スポーツにおける身体性とテクノロジーの関係性について話題提供をしてもらい、その後議論を行いました。
前回話題になった五輪憲章におけるnatural person の疑問点への回答から始まって、前回の議論をふまえながら話が進んで、議論の蓄積が感じられた回となりました。継続的に身体性のテーマを追いかけることは良いことだと思いました。また、継続テーマであるメタバースについても身体性という観点から理解が深められたことも良かったです。
引き続いて、この動画を見ながら、サイボーグ化された身体について議論を行いました。法律的に言えば、臓器移植や脳移植など以前から論じられてきたテーマの再来だというコメントがありました。また、私自身も技術者として言えば、ロボットは原義で言えば「労働」の代替であり、アンドロイドである必然性が高くないというコメントをしました。
他方、eSportsはスポーツか?という問いについての議論が大きく盛り上がりました。議論のポイントとして、身体性を介するか否か、現場で対戦相手と対局しているのかなど、様々な観点があるようです。多くは、身体性を介することを重視する議論が、高橋さんが所属する教育の業界では多いようです。障碍者にも機会均等の扉を開くなど、eSportsには良い点が挙げられますが、
ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの対立軸でスポーツを考える点が挙げられて、個人的に興味深く思いました。スポーツの効用として、ゲマインシャフトにおける団結力を高める点が挙げられていました。この点は個人的には盲点で、スポーツはうっとうしいもので、できるだけ関わりたくないと思っていた一つの視覚が与えられました。サイボーグ化された身体というテーマでありながら、いや、そうであるからこそ、その陰に隠れるような泥臭い人間の要素が浮き彫りにされて興味深かったです。
議論を十分に展開できなかったと悔やまれるのは、主体が「人間/機械」なのか、そして客体が「人間/機械」によってスポーツを比較・検証することで、スポーツとは何かを検討することができなかったことです。せっかく興味深い観点を提供していただいたのに、展開できなくて残念でした。また、高橋さんの出発点が、生の哲学の系譜に属するゲオルグ・ジンメルの研究であった点も掘り下げられなかったことも悔やまれますが、この点は、下記の論文が公開されていますので今後掘り下げる機会もできるでしょう。
運動実践において独自に現れる「まなざし」:ジンメルの相互作用論の考察から
次回は、今回の身体性の議論を踏まえて、また現今盛り上がっているトピックを盛り込む形で、しかも継続テーマであるメタバースを絡めて、インターネットの興隆と宗教右派というテーマで議論を行います。