【活動報告】第18回哲学カフェ×ミュージアム「人間の尊厳とはなにか?」

2015年 11月7日にNHKで放送された『それはホロコーストのリハーサルだった:T4作戦 障害者虐殺70年目の真実』を参照ドキュメンタリーとして、今回の哲学カフェを開催いたしました。

『それはホロコーストのリハーサルだった:T4作戦 障害者虐殺70年目の真実』(NHK)より

この番組は、その後、2016年7月26日に相模原障害者施設殺傷事件が発生して、そのテーマの先見性と深い取材で大変話題となりました。特に、ナチスドイツにおいてユダヤ人よりも先に障碍者が選別されて、さらに障碍者の中で分断が行われて、知的障碍者から先に殺戮されたという点が、現代日本の上記の事件と類似していて衝撃を与えました。

その後、優生思想の勢いは弱まることのない2019年の9月においても人間の尊厳とはなにか?という問いかけは、重要であると考えて企画しました。

当日のホワイトボード

近年、優生思想が強まっているのではないかという見方に対して、そもそも日本では戦前からあった国民優生法が、戦後の1948年に優生保護法となり、1996年まで存在していたことが忘れられているという事実に基づいた指摘がなされました。

この歴史的経緯は下記のサイトが参考になります。

旧優生保護法ってなに? – 記事 | NHK ハートネット

その背景として、人は多かれ少なかれ、優生思想の持ち主であるからだという指摘がありました。組織の存続と生産性が、個人の尊厳よりも優先されるからだというわけです。出征前診断や遺伝子操作もその一つの表れと見ることも可能でしょう。

しかしその一方で、個人の尊厳が生産性や組織の論理の背後に押しやられることに違和感を覚えることもまた事実です。それこそ優生保護法の改正に見られるなど、少しずつ個人の尊厳が尊重される方向へと日本人が歩みを進めたこともその表れと見ることも可能でしょう。

それでは、優生思想の桎梏から少しずつでも脱却する道筋はないものだろうかという提案がなされました。

『ものぐさ精神分析』という書籍にあるように、そもそも「人間は本能の壊れた動物である」という論点が挙げられました。つまり、人間は自然本能・法則から脱却して、博愛を志向することもできるという点です。

人類のその試行錯誤の精華が、カントがいうところの「汝の人格においても、あらゆる他者の人格においても、人間性を単なる手段としてではなく、つねに同時に目的として扱うように行為せよ」という格律です。つまり、人格は手段ではなく目的であるということです。それが、人は生まれながらにして幸福を追求する権利を持っているという、いわゆる天賦人権論の成立に大きな影響を与えています。

しかし、そこで疑問となるのが、カントの倫理学が確立したのは19世紀になってからだということです。それに対して、ドイツにおいてナチスが勃興したのが20世紀になってからで、しかも最も基本的人権が重視されたワイマール憲法下でナチス政権が樹立したということが大きな謎となってきます。

そこに解答の糸口を与えたのが『啓蒙の弁証法』であるということを紹介しました。

つまり、理性は啓蒙する働きを持つと同時に、雑多な物事を規格化する働きもあるため、規格から漏れる例外的な存在を排除する傾向があるということです。理性が産業革命の発展とともに知の働きである以上に、国家や産業という装置にビルトインされるようににあり、その排除の働きが巨大化しているために、理性は思考停止すると大きな殺戮を起こす可能性があるわけです。

これと同じことが21世紀になっても起こっているのではないかと提案しました。つまり、第二次世界大戦後に確立された世界秩序が機能不全を起こしており、それが優生思想の傾向を生み出しているということです。日本においても憲法改正の議論の中で、日本国憲法にある天賦人権論への疑義が呈されているのもその流れの中でのことでしょう。

この辺りで、議論の時間が終了となりました。引き続き、このテーマについて考える機会を持つことができればと考えています。

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